カネと政治問題の別の見方
「カネのスキャンダルで政治家を追い落とす」のは戦後一貫した日本の伝統的悪しき風習である。田中角栄、竹下登、細川護熙、小沢一郎等々、犠牲者の名を挙げればきりがない。これは又日本のマスコミが誇る伝統でもある。
小渕優子(経済産業相)、松島みどり(法務大臣)、宮沢洋一(環境相)等々、更に今後何人「重箱の隅をつつかれる」のか分からない。
支援団体経理のずさんさや、ちょっとした不注意は誰にでもある事。
海外(欧米)から見たら「下らない」の一言!
女性の活躍の場を広めたい安倍首相の出鼻を叩くことが日本の女性や国民にとってプラスになるとでも言うのか。マスコミは常に国民の利益を最優先にすべきなのに日本のマスコミは「騒ぐ」ことが仕事だと思っている。
いずれにしてもこうしたスキャンダル問題を国会で討論するなどもっての外。
「政治倫理と公職選挙法に関する特別委員会」という場があるのだからそこで論議すべきであって国会は法案審議のみに徹すべき。
私は今回の「小冊子」(Vol.61)でアメリカが民主主義を世界に普及することを国是としていることにつき、その戦略的意義について述べている。
そもそも民主主義も自由主義もまた民主主義体制も国益(目的)追求の為の「手段」である。アメリカが国内で採用する民主主義は国益追求のため国民に権利と義務の原則を徹することで国民をコントロールする為。ところがアメリカが世界に普及し、またしようとする民主主義は、民主主義の為の民主主義であって決してアメリカのように国益の為ではない。外国向け民主主義は国民に過剰な自由と権利意識を持たせ国益を追求する国家権力を妨害又は否定する働きをするよう設定されている。
終戦後GHQ民政局が日本に指導した民主主義はアメリカにとって大成功中の大成功であった。今日もその効果があって、安倍内閣は衆院(国会)で過半数を持っても強い政治指導力は民主主義の名の下に去勢されてしまう。
「カネのスキャンダルで政治家を追い落とす」ことが今なお日本で続いているのは、いかに日本をアメリカに隷属させる為の対日民主主義教育が成功しているかを証明するものである。
一連のスキャンダルを見て「日本はとうとう政治年齢7歳にまで落ちた」と言ってアメリカが喜ぶ所以である。
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