増田俊男の外交基本論 少し大上段に構え過ぎた感もなくはないが、今回は、私が1995年に帰国して以来主張し続けている「私の外交基本論」について述べたい。その外交指針の対象国は、言うまでもなくロシアと北朝鮮である。日本は両国と戦後未だに平和条約を交わしていない。 日露国交正常化の妨げとなってきたのは「北方領土問題」であり、また日朝正常化の「癌」となっているのは「拉致問題」である。両国に対してわが国が一貫して採ってきた外交指針は、ロシアには「北方領土の還る日、平和の日」(総務省のビル等に掲げているスローガン)であり、北朝鮮では「拉致問題の解決なくして国交回復なし」である。ロシアに対する外交指針は、慰安婦問題の謝罪声明で有名な河野洋平外務大臣(当時)が、戦後一貫して採ってきた「政経不可分」(国交の回復なくして経済関係なし)を「政経パラレル」(政治は政治、経済は経済)に変更したが、今なお「北方4島の返還なくして平和条約なし」の指針を固持している。 ところで、私が10年間一貫して主張してきた両国に対する外交指針は、わが国の指針と全く異なったものであった。ロシアに対しては「平和条約なくして北方領土解決なし」であり、北朝鮮に対しても同じで、「日朝国交回復なくして拉致問題解決なし」である。 ロシアに関して私は、1956年12月12日、当時首相の鳩山一郎とブルガーニン首相が批准書に署名して発効した「日ソ共同宣言」を重視する。その内容を要約すると「日ソ平和条約締結直後に、ソ連は4島のうち歯舞と色丹の2島を返還する」ことを約し、他の2島については平和条約成立後の交渉に拠るというもの。私は、ソ連(現在ロシア)と平和条約を交わしていない現在の日本と、国交が正常化した場合の日本の「違い」について述べてきた。現在の日本は(物理的に戦闘状態ではないが)ロシアに対して第二次大戦の「敗戦国」のままの状態になっている。 日露平和条約が締結されれば、日露は(戦勝国でも敗戦国でもない)対等な国家になれるのである。ロシアは今日、北朝鮮や中国のように殊更に日本を「侵略国」扱いしなくなったが、日露間で「第二次大戦の終結手続」が終わっていない事実が日本の外交の自由を阻んでいる。日本がロシアと北朝鮮と平和条約を締結すれば、日本は侵略国呼ばわりされたり、繰り返し謝罪を求められる根拠がなくなるのである。つまり、両国と平和条約を提携すれば、北方領土問題も拉致問題も日本は相手国と「対等な立場」で交渉ができる。第二次大戦の敗戦国のままでいることの外交上の不利は計り知れないのである。 ロシアの対日外交戦略は、日本にとって最大の問題である北方領土問題について「領土問題の歴史を1993年以降にすること」(プーチン大統領・森首相の首脳会談)を日本に認めさせた点に尽きる。日ソ共同宣言は両国で批准されたものだから、平和条約を締結したらロシアはまず2島を返還する義務がある。この義務を逃れるため、森首相に領土問題の歴史を同共同宣言が批准された1956年の後の1993年以降と認めさせたのである。日露関係を戦勝国・敗戦国の状態に保ちながら、国境策定などで交渉に時間をかけながら、「相互信頼関係の印」などという名目で200億円を越す対ロ債権放棄、医療援助等々、いつまでも日本は「見返りなき善意」をロシアに与え続けている。私の主張は、今もなお、「平和条約なくして北方領土返還なし」である。 北朝鮮に関しては、まず「北朝鮮の拉致問題は日朝2カ国の問題である」という基本認識をしなくてはならない。また、6カ国協議の目的は「北朝鮮の核廃絶であって、拉致問題ではない」。この6カ国協議の原則もよく認識しなくてはならない。私の主張は、「(拉致問題を含む)いかなる問題に先駆け、国交回復(日朝平和条約締結)が先」である。国交回復に条件をつけてはならない。 拉致問題解決の最短距離は、「拉致問題を棚上げして国交回復をすること」である。国交回復すれば、政治・経済・文化交流が行われるから、「日朝拉致共同調査」も当然の事として行われる。また、アメリカが北朝鮮に武力行使をしないことを宣言している以上、核廃絶を達成するには、「金正日政権を民主的に崩壊させる」しかない。北朝鮮が日米と国交回復すれば、人、金、情報が北朝鮮国民に向かうから、必然的に政治にも、経済にも大変革が起きる。金正日政権は内部から崩壊せざるを得なくなるのである。 拉致家族の皆様の願いは「一日も早くご家族を取り返したい」のではないのか。ならばなぜ最短距離の「正道」で取り返さないのか。喧嘩をしたら、「まず仲直り」して、それから「あれは私が悪かった」で、お互いに清算し合うのではないのか。日本の外交は「子供の喧嘩」に戻る必要がある。
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