アベノミクスの運命
私が常に言ってきたことがある。それは「経済は人間と同じだ」ということ。
人間赤ん坊に生まれ、少年、青年、壮年となって子供を産み、老年になって引退、そして永遠の世界へ旅立つ。
戦後日本に自由経済が導入されるや、日本経済は瞬く間に成長し1960‐70年代の「右肩上がり」と言われる時代を迎えた。そして1985年の「プラザ合意」の円高合意で日本経済を去勢しなくてはアメリカ経済が持たないところまで強くなった。日本はプラザ合意後の1987年から経済バブルの炎が燃え上がったが、それはローソクが消える前の一瞬の輝きであった。1991年から「失われた20年」と言われるデフレ時代が続いた。そして「三本の矢」でデフレ退治をすると宣言した安倍内閣誕生。
私は長引くデフレは「あるべき日本経済の姿」であると述べてきた。
逆に言えば、通貨増刷で貨幣価値を下げ、増刷した通貨で国債を買って金利を下げるのは「邪道」だという立場だ。つまり停滞した経済を成長に誘導するのは金融政策に依るのではなく、財政政策で需要を創造するのが本筋である。
黒田日銀総裁は物価目標を2%に定めたことから物価の上昇率に神経を使うのは分かるが、金融政策による物価上昇、低金利維持、金融資産増は人工的かつ一時的現象に終わることを知っているのであろうか。黒田総裁も役人だから任期中に問題が起きなければいいのかも知れない。
物価は実需と供給によって決められなくてはならないし、金利は実体経済の資金需要によって決まらなくてはならない。
この原則に挑戦するいかなる経済政策もやがては破綻し、間違いの代償を払うことになる。
失われた20年の間「モノ作り日本」が「モノ作り海外」にシフトしてきたのは引退後の老人が投資先からの利息や配当で暮らすのと同じく「あるべき日本経済の姿」である。
円の購買力を他国に増して落とし、かつ金利を人工的にゼロに誘導する政策は海外直接投資を指針とする日本経済を妨害するに他ならない。
成長が止まった経済に他国の富を誘導するためには通貨の購買力は強く円高でなくてはならず、他国の資金の導入には金利は高い方がいい。
アベノミクスの三本の矢は獲物を射ることなく川面に落ちることになるだろう。
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