第535号(2009年07月13日号)

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日露問題の「正論」(政治家、そしてマスコミの皆様、本号だけは是非お読みください)
ロシアの対日外交180度転換

今月(7月)日露首脳会談が開かれるのに先駆け、6月22日「北方領土はわが国固有の領土」と明記した北方領土返還活性化特別措置法改正案が衆議院で了承され、7月3日参議院でも了承された。
一方ロシアのメドベージェフ大統領は7月10日、イタリアで行われた主要国首脳会議(ラクイラ・サミット)終了後の記者会見で、日本との北方領土問題についての交渉は、平和条約締結後に歯舞、色丹両島を日本側に引き渡すと決めた「日ソ共同宣言」(1956年)を基礎として交渉するとの見解を示し、ロシアは日ソ共同宣言が両国唯一の法的根拠であると述べた。日本政府もマスコミも、メドベージェフ大統領はプーチン大統領政権時代と基本的に変化は無いとの見解であるが、とんだ大間違いである。

ロシアはことごとく「日ソ共同宣言」を避けてきた!

1997年橋本首相・エリツィン露大統領のクラスノヤルスク合意は、「2000年をメドに日露平和条約の締結を目指す」というものであった。2000年9月5日、森首相とプーチン大統領の首脳会談が開かれたが、プーチンは、エリツィンは2000年までに平和条約締結すべく努力をする約束はしたが、締結するとは書いていないと述べ、事実上平和条約締結を拒否した。結局共同声明では、「北方四島の帰属問題を解決することにより平和条約を策定するための交渉を継続すること」、「日ロ間の領土問題の歴史に関する共同資料に1993年以降の資料を含め、新しい版を準備する」であった。共同声明や記者会見で述べられたことで重要な点を要約すると、1)平和条約より領土問題を優先する、2)信頼関係(善意)が重要な鍵となる、3)北方領土の歴史を1993年以降とする(1956年の日ソ共同宣言を避ける目的)、である。橋本内閣は善意のしるしとして、2億ドル、対ロ債権放棄と延長、医療品を与えた。森内閣も経済協力の名で、ロシア産業育成基金、政策金融支援、債務救済措置(最大20年分債権放棄)等々最大限の「善意」をロシアに与えたが、両政権ともロシアから得たものは感謝の言葉さえも無かった。以後ロシアは一貫して平和条約先送り政策を採って今日に至っている。

日本の敗戦

ソ連(ロシア)と日本は1941年4月25日「日ソ中立条約」(有効期限5年)を締結し両国共に批准し、両国は互いに領土不可侵と両国が第三国と戦争状態になった時は互いに中立を守ることを決めた。この条約を破棄できるのは条約期限(1946年4月25日)の一年前(1945年4月25日)までで、もし有効期限内に相手国に破棄通達をしたならば期限である1946年4月25日から無効となることになっていた。アメリカはウラニウムとプルトニウムの性能テストのため(アメリカの秘密文書で公開済み)1945年8月6日にウラニウム弾を広島に、8月9日にプルトニウム弾を長崎に投下したが、ソ連は原爆投下の2日後(1945年8月8日、日ソ中立条約破棄期限から3ヶ月以上遅れて)突如日本に日ソ中立条約破棄と宣戦布告を通達、日本がポツダム宣言受諾で無条件降伏した8月15日にも停戦することなく、北方領土を占領したのである。日本は、欧州戦線でソ連と戦闘中の同盟国(三国同盟)ドイツからソ連を背後から攻撃するよう強く要請されていたがかたくなに日ソ中立条約を遵守してドイツの要請に応じなかった。それに対しソ連の対日攻撃は自ら批准した日ソ中立条約を無視した暴挙であった。無条件降伏した後の日本の主権は1945年9月6日からマッカーサーのGHQに移り、先の時事直言で述べた通り、日本は日米平和条約を締結し対米敗戦国を返上したものの、いまだに日米安保によって事実上米国の軍事占領下にあり対米主権はない。さらに憲法第九条で軍事力行使が禁じられていることから日本は対日敵対行為に無力のままである。

日ソ国交回復

鳩山一郎内閣の時、日本側から鳩山一郎、河野一郎、松本俊一、ソ連側からブルガーニン首相、シェピーロフの間で、「日ソ共同宣言」(1956年12月12日両国批准)が取り交わされ、「ソ連と日本の間で平和条約が交わされた後、歯舞、色丹の二島を返還することに同意する」ことが合意され両国で批准された。残る二島は平和条約締結後解決することになっている。
プーチンまでの歴代のロシアの対日外交方針は一貫して、「平和条約先送り政策」であった。日本とロシアが平和条約を締結しない限り、たとえ国交は回復しても政治的には、ロシアと日本は第二次大戦の「戦勝国と敗戦国」の関係である。日本がロシアに対して敗戦国であると言う事は、日本はロシアに対して「主権が無い」ことであり、主権を主張できないことであり、「対等でない」ことである。だから日本は「善意」だけロシアに取られ、ロシアに何一つ要求出来ないのである。仮に日本とロシアが平和条約を結び日露間が対等な関係になったなら、日本の国会で「北方領土は日本固有の領土である」と決議すればロシアはそれを尊重しなくてはならない。しかし今日のロシアは当然無視する。

国連憲章

ロシアをはじめ北朝鮮は何故日本と平和条約を結びたがらないのだろうか。
そのわけを戦勝国と敗戦国(日本)に共通の「国連憲章」に見ることができる。
国連憲章第17章、第107条:第二次大戦の敵国に対してとった行動の効力。
「第二次大戦の戦勝国が敵国(日本)から取ったものや義務付けたものを無効にしたり、排除したりしない」。戦勝国ロシアが敗戦国日本から取った北方領土はたとえどんな取り方(日ソ中立条約違反)であっても有効であり、その返還の義務は無いと決められている。これで何故ロシアが平和条約を先送りしてきたかがわかる。
ついでに国連憲章第8章、第53条:地域的安全保障取極と地域的紛争解決について述べる。地域紛争が起こり紛争解決の為に地域機関(2国又は多数の国連加盟国の安全保障機関)が強制行動を取る場合は安全保障理事会の許可を得なくてはならない。「ただしかつての連合国の敵国(日本)に対しては例外とする」。
これで何故北朝鮮が日本と平和条約を交わさず、日本に平然と武力行使を仕掛けてくるかがわかるはず。

「北方四島返還」を最優先する日本の外交政策は「乞食外交」である!

北方領土問題は二島、三・五島などの次元の問題ではない。先ずロシアと対等になること、対等に交渉ができる「主権国家」になることが先決である。
平和条約締結で、「第二次大戦の敵国」を返上し「主権を尊重し合うことが出来る主権国家」になることである。北方四島返還を要求している限り四島は永遠に帰ってこない!今までロシアの対日外交は徹底して平和条約先送り政策であったが、7月10日、こともあろうにロシアの新大統領が、「ロシアは、1956年の宣言が両国にとって唯一の法的根拠のある文書だと考えている。(日本との)対話はこの文書に基づいて行われる必要がある」と述べたのだ。平和条約締結で歯舞、色丹の二島が返還される。残る二島については、二島が日本の主権下になると200マイル四方が日本の独占的経済圏になるから、その経済価値を計算しロシアと対等な立場で取引をすればよい。敗戦国のGive and give(与え放し)から主権国家のGive and take(対等取引)にならなくてはならない。政府も、政治家も、マスコミもメドベージェフ大統領の見解を誤認している。これが100年に一度のチャンスであることがわからないのだろうか。日本は一体何時まで「主権無き亡国」でいたいのか。






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