第599号(2010年08月02日号)

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「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」 若泉 敬

若泉氏は1969年から沖縄返還が決定した1972年5月15日まで佐藤栄作総理大臣とニクソン米大統領の間で行われた返還交渉で通訳として黒子役を務めた。実際は若泉氏とキッシンジャー氏で合意書の字句や文章の詰めが行われた。
若泉氏は自分が果たした役割が果たして沖縄県民、ひいては日本のためになったのかを悩み続けたのであった。
それは、若泉氏は「沖縄返還合意には日本の国家安全にとって由々しき裏取引が存在している」ことを知っていたからである。
沖縄返還には、若泉氏が「これ以外にいかなる策もなかったのだ」と自らに言い聞かせなくてはならないほど日本の安全と独立にとって「致命的かつ過酷」な条件がTop Secret(超極秘)として(一部は公開されたものの)今なお隠されている。
極秘条件とは、(一部は約10年前本誌で沖縄返還の真実として記載したが)、@世界最大のアメリカの核兵器貯蔵庫を沖縄米軍基地の4か所に分散保有する、A世界最強の核攻撃部隊(ハーキュリー・ユニット)を沖縄に配備する、B沖縄を起点に核の持ち込み、持ち出しを自由に行うことを日本が保障することであった。
核施設、核貯蔵庫、核攻撃部隊がアメリカの敵の攻撃目標になるのは自明のことである。
キッシンジャー氏と共にニクソン氏・佐藤氏の極秘契約書調印をアレンジした若泉氏の心境は察するに余りある。
私が「時事直言」を書き始めた10年前、若泉氏は著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文藝春秋;出版直後絶版)を世に出すことで日本に沖縄の宿命、すなわち日米の宿命を考える機会を与えることによりいわば罪滅ぼしを試みたのであった。
しかし私と「時事直言」の当時の読者数百名を除き、国家も言論界もマスコミも若泉氏の責任感と国への憂いは抹殺されたのであった。
沖縄返還の功労と非核三原則(核を持たず、持ち込まず、作らず)を日本の国是にしたことで佐藤栄作はノーベル平和賞を受賞、死しては国葬で日本の国民から惜しまれた。
しかし今なお、沖縄はアメリカの核兵器基地そのものであり、沖縄が日本なら非核三原則など日本には微塵も存在しない。
そして沖縄返還後38年が経った今、誰も日本の安全と独立の核心に触れようとはしない。
変わったことと言えば若泉氏が友人を枕元に呼んで服毒自殺をはかった頃わずか200名であった時事直言の読者が今3万人以上になっていることくらいだ。
若泉氏の死は単に沖縄に与えた犠牲のためではない。
日本の核心そのものに対する国家と国民の無関心だったのである!


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