核兵器なき世界
広島にアメリカが原爆を投下した1945年から65年目に当たる8月6日、広島市の平和記念公園で平和祈念式典が開催され、アメリカを代表してジョン・ルース駐日大使が参列したことで注目を集めた。
英米仏ロの対日戦勝連合国の代表が揃って参加したのは今回が初めてであった。
昨年4月オバマ大統領がチェコのプラハで「核兵器なき世界」を訴えたことの影響だろうと言われている。
オバマ大統領のプラハ(チェコ)演説(2009年4月)から広島平和式典までに核に関して起こったことは;北朝鮮が2度目の核実験実施(5月)、国連安保理核廃絶決議(9月)、日米「核のない世界」共同宣言(11月)、米政府核戦略見直し公表(2010年4月)、米ロ戦略兵器削減条約(START)に合意(同月)、核不拡散条約(NPT)再検討会議(5月)、国連安保理イラン核疑惑で制裁決議(6月)等々があり国際政治は核廃絶の方向に向かっているように見える。
何故オバマ大統領は「核なき世界」でノーベル平和賞をもらったか
佐藤栄作元総理大臣はニクソン元米大統領との沖縄返還の調印(1972年5月)と同時に「非核三原則」を宣言し日本の国是としたことでノーベル平和賞をもらった。実際は前回本誌で述べた通り非核三原則は有名無実、今でも沖縄はアメリカの核基地のままである。
ではオバマ大統領の「核なき世界」とは何なのだろうか。
安保理の核廃絶決議も核不拡散条約も対象としているのは北朝鮮、イラン等核寡占国(米、ソ、英、仏、中:安保理常任理事国)以外の国々であり、目的としているのは核寡占国の寡占維持に他ならない。
最近の核技術の簡素化で今や核兵器がアルカイダ等テロリストの手に渡る可能性が出てきた。核兵器がテロリストの手にまで拡散されるようになればアメリカを筆頭に核寡占国の核抑止力が効かなくなる。ならばむしろ世界から核をなくしてしまえばいいではないかという理論が出るのも当然である。
被爆者の苦しみを知りつくしている秋葉忠利広島市長が叫ぶ核廃絶には二つの側面がある。第一は世界からの核廃絶の人道的理想であり、他は日本(沖縄)からの核廃絶である。オバマ大統領の「核なき世界」は秋葉市長の核廃絶の理想にも沖縄からの核廃絶(核抑止力からの離脱と表現)には何の関わりもない。
オバマ大統領の「核なき世界」とは何か。今後アメリカは独自と国連による政治圧力で小国に核廃絶を強行し次に寡占国にまで廃絶を求めながら、アメリカが最後の核廃絶国になることを目指す。これがアメリカの新たな世界核支配構想である。
オバマ大統領も佐藤元総理もノーベル平和賞を受賞したが、両者が共通しているのは、二人とも裏腹の平和を口にしたということである。
真意を知ってか知らずか、菅総理大臣は秋葉市長の「日本はアメリカの核抑止力から離脱すべき」との主張に冷やかにも「核抑止力は必要」と言い返した。
沖縄に現存しているアメリカの核基地は日本に必要であると秋葉市長に反論しておいて、非核三原則を国是として順守すべきと言う大矛盾である。
日本の安全が保障されている日米安保下での沖縄返還の真実を知っている秋葉市長の「アメリカの核抑止力からの離脱」が何を意味していたかわからなかった菅総理は政治家として大丈夫なのかと思ってしまった。
ずいぶん前になるが喜納昌吉氏(歌手で前参議院議員)が経営する那覇のライブ・ハウス「チャクラ」で秋葉市長に会ったことがある。非核三原則がないのにあるとする政治について語ったのを今でも覚えている。
秋葉市長は連合国(戦勝国)の代表が揃った記念すべき式典だから「沖縄からの核兵器廃絶」と言わず「核抑止力離脱」と表現したのであった。
ルイス駐日大使は「ギクリ」としたことだろう。
こうした式典は国会ではないのだから秋葉市長が平和宣言(理想)の中でこうした形で日本からのアメリカの核廃絶を訴えた表現は見事という他にない。
それに比べて菅総理はどうだったか。
日本の総理として平和を希求する日本の存在感を世界にアピールできただろうか。それは広島、長崎の被爆者が一番よく知っている。
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